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木漏れ日の空間にようこそ !!

木漏れ日の空間にようこそ !!

◇超能力と犯罪に着いて・・


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■超能力と犯罪との関連を考えて見る必要があります。宗教思想に於いてその教義の中に、条件によっては、人を殺しても良いと云う教えが存在してはいけないことが、先のページの記述からお解りいただけたものと思います。他方、殺してはいけないと云っても、既に死刑に値する罪を犯した者が、隠れ潜んでいるところを、発見して警察に届ければ死刑になります。その人の良心の在り方によっては殺したことになるかも知れません。見て見ぬ振りをして見逃せば、生き残れるかも知れません。慈悲とも云えます。個人の良心の在り方の問題です。

通常の場合は、隠れ潜んでいたところを発見すると言うことは、何らかの証拠が伴ないますので、その証拠を一緒に提供するか?しないか?により、客観的に判断されます。証拠の無い場合、提供できない場合でも疑いのあるものは、通報する道徳的義務がありますので何ら問題はありません。発見した人が慈悲で見逃したとしても、変人扱いにされますので、そのようなケースは起きないと思います。しかし、超能力で、隠れ潜んでいるところが分るとなれば、様相は全然違ってきます。場合によっては、証拠が無いため虚為の報告とされる場合が考えられます。

逆に死刑相当者(殺人容疑者やスパイ容疑者)であることを知りながら、見逃したとして自分も罪に賦される場合も起こり得ます。私は経験はありませんが、超能力で知ったとしても、知っていることを知らないとは答えにくはずです。(このページは、良心を見失った悪魔については述べません)何故知っているか?と、質問されれば証拠はないので、勘ぐられたり、疑わる場合があり得るはずです。超能力が両刃の剣になることも考えなくてはいけません。要約すれば、隠れ潜んでいる罪人の罪と居所をあばきだして、死刑にするのも、慈悲として見逃してヤルのも、その人が自分の良心に問い合わせて、決めることです。

ですから、その時とった行為は(想い)は神のみぞ知ることで余人は結果に付いてのみ善非の評価、その他は言うしかないないのです。さらには、精神異常者を超能力で予見してコトが起きる前に殺してもよいのか?の問題も残ります。放置しておくと罪を犯すから、罪を犯す前に殺すことが、即ち、愛であるとする、オウムの殺人先取り教義です。この場合超能力で当該人物が、いずれ重大事件を起こすと見抜いて、刑罰の先取りの形で当該人物を殺せば、当該人物が将来、殺人を犯すという証拠はないのだから、自分が殺人罪に問われます。オウムの麻原であってもコトを起こす前に殺せば、殺した人は殺人罪なったのです。







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